糖尿病網膜症
目次
生活習慣がもたらす疾患
世の中に美味しい食事が増えたことだけではなく、インターネットの普及やリモートワークの促進によって、運動をする機会も減り、高血圧、高脂血症、糖尿病といった生活習慣病は増えるばかりであると予想されます。
こういった生活習慣病がもたらす疾患は様々ですが、その多くが閉塞性動脈硬化症といった血管障害や血流障害によるものと考えられています。
糖尿病網膜症
糖尿病も、血流障害を引き起こす疾患の1つです。
コントロール不良の糖尿病が長期にわたって持続すると、動脈硬化が進行し、血管の内腔が次第に狭くなっていきます。糖尿病による大きな合併症として、糖尿病網膜症(目)、糖尿病性腎症(腎臓)、末梢神経障害(神経)の3つが知られていますが、そのどれもが細い血管が徐々にやられていく事で生じるものです。
元々の血管が細ければ細いほど、詰まりやすく、脆い血管であるという事はイメージしやすいのではないかと思います。目は非常に小さな組織であり、その中で大事な役割を担っている血管はさらに細く繊細であるということです。
目の敵!?新生血管とは?
血管が詰まってしまうと、当然ながらその中を通る血流が障害されてしまいます。網膜に栄養を届けている血流が途絶えてしまえば、網膜に存在している生きた細胞たちに栄養や酸素が十分に届かなくなり、飢餓状態によって細胞たちは次第に元気をなくしていきます。
飢餓状態が長期にわたって続いてしまうと、細胞たちは「助けてくれ!」というSOS信号(医学用語でVEGFと呼ばれます)を眼内で出すようになります。このSOS信号を感知すると、なんとかしなければいけないと、目の中で新たな血管を作ろうとするメカニズムが始まり、新生血管が生まれてしまうのです。
新生血管がもたらす病態(血管新生緑内障)
この新生血管が私達の目にとって正義の味方となれば良いのですが、残念ながらそううまくはいきません。新生血管は非常に脆弱で、ちょっとした事をきっかけに眼内で出血(硝子体出血)を起こす原因となってしまいます。
新生血管がもたらす悪さはこれだけではありません。目の中では常に新しい水(房水)が作られ、目の中に存在する排水溝(隅角)から水が抜けていく事で、常に水が入れ替わり、一定の圧力や形状を保っています。ところが、新生血管が目の中で増えてきてしまうと、目の中に存在する排水溝が根詰まりを起こしてしまい、一定の圧力を保つ事ができなくなる状態が生まれます。
イメージとしてお風呂を想像するとわかりやすいです。お風呂の蛇口が開きっぱなしの状態でも、蛇口から出ている水の量と、排水溝から出ていく水の量のバランスがとれていれば、浴槽に貯まった水はある程度一定の量を保つ事ができます。ただ、排水溝が髪の毛(新生血管)などで根詰まりを起こしている状態で、蛇口が開きっぱなしになってしまえば、水が浴槽から溢れてしまうのです。
目はお風呂の浴槽とは違って閉ざされた空間であるため、水風船が水を入れ続けると破裂してしまうように、いずれ限界を迎えてしまいます。限界を迎えた目は、眼圧と呼ばれる目の圧力がどんどん高くなっていき、目の奥に繋がっている視神経に大きな負荷をかけてしまうのです。
目の排水溝が新生血管で根詰まりを起こしてしまい、眼圧が制御できなくなった結果、視神経に負荷をかけ、視野が急速に欠けてしまう事で失明に至る状態を血管新生緑内障と呼びます。
糖尿病網膜症の末路とも呼べるこの状態を生み出さない事が、我々眼科医として、糖尿病をお持ちの方にしなくてはならない使命なのです。
糖尿病網膜症の進行段階
糖尿病を治療せず放置してしまうと、目の血流障害が生じ、網膜に栄養や酸素が行き届かなくなる事で、新生血管が生まれ、最終的に血管新生緑内障となって失明してしまう可能性があるというお話をさせていただきました。これはあくまでも重症な糖尿病網膜症のお話で、いきなりこのような状態になってしまうわけではありません。糖尿病網膜症は大きく3つのステージに分類されます。
初期の単純網膜症、中期の増殖前網膜症では自覚症状を伴うことは少ないですが、末期の増殖網膜症に移行してしまうと、新生血管の出現によって硝子体出血が生じてしまったり、出血が遷延化することで生じた増殖膜が、網膜を牽引して網膜剥離に進行してしまったりと、急激な視力低下を引き起こす要因となります。そのため、末期の増殖網膜症に移行させないこと。言い換えれば、いかに新生血管を出現させないかということが、糖尿病網膜症を治療する上で非常に大切なポイントなのです。
糖尿病網膜症の治療について
糖尿病網膜症の治療には、硝子体注射(抗VEGF療法)、レーザー加療(光凝固療法)、硝子体手術などがあります。糖尿病網膜症におけるこういった治療の目的は、硝子体出血や網膜剥離を治すということだけではなく、そのどれもが、新生血管の退縮や抑制をすることを目標としています。
硝子体注射
新生血管を生じるきっかけとなるSOS信号のことをVEGF(血管内皮細胞増殖因子)と呼びます。VEGFは網膜に栄養や酸素が足りなくなったことで、生きた細胞たちがあげる悲鳴のようなものです。
硝子体注射(抗VEGF療法)は、この悲鳴であるVEGFに対して作用します。
細胞たちがあげた悲鳴を、注射の効果でかき消すことで、新生血管を退縮させたり、新たな悪い血管を作らせないようにする効果が期待できます。
網膜の中心部に位置する物をみるのに大切な部分を黄斑と呼びますが、この部分に浮腫が生じてしまうと、視力低下を引き起こします。糖尿病黄斑浮腫は、糖尿病のどのステージでも起こる可能性があり、浮腫がある状態が続いてしまうと、視力が改善しにくくなってしまうため注意が必要です。硝子体注射は、糖尿病黄斑浮腫という病態に対しても効果があると言われています。黄斑浮腫に対してステロイド薬の注射をすることもあります。
レーザー加療(光凝固療法)
レーザー加療も硝子体注射と同じく、新生血管の退縮と抑制を目的とした治療です。硝子体注射が、細胞たちの悲鳴(VEGF)をかき消していたのに対して、レーザー加療は悲鳴をあげて苦しんでいる細胞たちそのものを、レーザー光線で早く楽にしてあげましょうというものです。
悲鳴をあげている細胞そのものがいなくなりますので、新生血管を作るプロセスを効率よく防ぐ事ができますが、生きていた細胞たちをレーザー光線でやっつけてしまう治療であり、侵襲性は高く、生きていた細胞たちが担っていた機能も失われてしまいます。レーザー後、見えにくさ(特に暗い場所で感じやすい)が生じてしまうこともあります。
そのためレーザー加療は、治療を行わないと新生血管を制御できず、血管新生緑内障を生じてしまい、今後の失明リスクが高い方に積極的に行う事が多い治療です。網膜周辺部を中心に広い範囲にたくさんのレーザーを打つことで、眼内の悲鳴(VEGF)を抑える必要があります(汎網膜光凝固術)。
※糖尿病網膜症の患者様の中には、汎網膜光凝固術だけでなく、毛細血管瘤を治療する目的で、局所的にレーザーをすることもあります。
とはいえ、レーザー加療も万能ではありません。下図を見るとわかるように、レーザー光線は点で打つものであり、面で打つものではないからです。レーザー照射の点と点の間に存在する細胞たちは生きており、変わらず苦しんでいる可能性があるのです。もちろん、レーザー加療によって生きている細胞が減った事で、必要となる栄養や酸素も減りますから、残っている細胞たちの負担は減っているはずです。ただ、それでも生き残っている細胞たちからの悲鳴が続いてしまう場合には、悲鳴をかき消す治療である硝子体注射(抗VEGF療法)を併用することで、新生血管の出現を抑えることもあります。
硝子体手術
硝子体注射やレーザー加療を行っても、新生血管を退縮・抑制しきれない場合には、硝子体手術を行う必要があります。外来での治療(眼外アプローチ)では届きにくい最周辺部へも、手術で眼内に直接アプローチ(眼内アプローチ)してレーザーを打つことで、より隅々まで徹底的にレーザーを打ち込む事ができるようになるからです。残念ながら、ここまでやっても新生血管を制御できず、血管新生緑内障へ進行してしまうケースもあります。眼圧が高い状態が続いてしまう場合には、失明を予防するための緑内障手術(繊維柱帯切除術:レクトミー)が必要です。
また、硝子体出血が遷延化してしまう場合や、増殖膜による網膜剥離が生じてしまった場合には、出血を綺麗にしたり、剥がれてしまった網膜をくっつけるために、硝子体手術を必要とすることもあります。
糖尿病は定期的な通院が大切
糖尿病網膜症は最悪の場合、失明にも繋がりうる非常に怖い疾患です。糖尿病は日本における失明原因の上位であり、決して軽視できるものではありません。
糖尿病の方は、運動や薬で血糖値をコントロールしていただく事はもちろんですが、定期的な眼科通院をしていただき、適切なタイミングで治療を行う事で、視力低下を防いでいくことが大切です。
糖尿病と言われてはいるけれど、眼科受診をしたことがない方。しばらく眼科への通院を怠ってしまった自覚のある方。ぜひ一度当院で眼底検査を受けていただければと思います。